7月16日「激レアさんを連れてきた」にも出演される。愛媛名物になった『まるごとみかん大福』で一発当てた、アメリカ・グアム出身のロコーボーイ和菓子職人、ビル・リオン・グレローさんの経歴や年収、家族についてなどについてまとめてみました!グアムでの生活を捨て和菓子の世界に飛び込み大ヒット商品を作るまでの経歴が感動もので家族愛が素敵です!
ビル・リオン・グレローさんの経歴は?
名前:ビル・リオン・グレロー
生年月日:1960年(推定)
年齢:58歳(2018年現在)
出身:アメリカ・グアム(ミクロネシア島)
職業:和菓子職人(清光堂工場長)
愛媛県・今治市で60年も続く、老舗和菓子店「清光堂」。
そこの二代目を任されているのが、グアム出身のビル・リオングレローさん。
外国人が和菓子職人なんて…と思いますが今までに至る経緯が感動モノでして、
現在に至るまでのきっかけは「家族愛」
観光でグアムを訪れていた智恵さんのひとめ惚れでふたりは1989年に結婚。
ビルさんは救急救命士、妻・智恵さんは学校の教員、彼らの子供たち、寛恵さんと寛規さんは小学校に通い、ミクロネシア島で幸せに暮らしていたそうです。
幸せな暮らしを過ごしていた一家に日本から、清光堂で店主をやっていた妻・智恵さんの父・益田光俊さんが倒れたとの連絡が入る。
このままでは『清光堂』が潰れてしまうと残念がっていた清光堂店主・光俊さんに
国際結婚を許し、応援をしてくれたお義父さんに恩返しがしたい!と
妻・智恵さんの制止をふりきり、清光堂を継ぐ決意を決め
2002年に家族で日本へ移住。
幸いにも父・光俊さんは回復し、そのまま弟子入りすることが出来たビルさん、
日本語もほぼ話せないビルさんの修行は簡単ではなかった。
修行して3年、ようやく妻の智恵さんの協力の元にお店を任せられるようになり、
さらなる清光堂の飛躍のため、思考を凝らしてできたのが
愛媛名物「まるごとみかん大福」だ。
今では、一日1000個以上も売れる大ヒット商品になった。
愛媛と言えば「みかん」そんな愛媛みかんをまるごと一個をモッチモチの求肥、白あんで包んだ大福。断面からわかるように約9割がみかんを占めるこの和菓子は、常温、冷凍で2種類の味わいが楽しめる一品!
詳しい情報はこちら
ビル・リオン・グレローさんの年収は?
和菓子職人さん自体の平均年収は300~400万と言われています。
ビルさんの場合は、現在の役職は工場長ということなので恐らく同じ職人でも年収は平均より少し多い400~500万円くらかと推定します。ただし、清光堂は家族で経営されているので、もっと多いかも知れません!
ビルさんは外国人の和菓子職人ということもあり、メディアへの出演、インタビューなども多くあるそうなので、そういったところからもギャラという形で収入を得られる事もでしょう。
ちなみに、グアムでは救急救命士をやられていたそうですが日本の救急救命士の平均年収は500〜600万円なので、日本で救命士の仕事をしていてもそれなりに安定した収入は得られたでしょう。
愛媛名物になったみかん大福が出来るまで…
引用:里山里海グルメ発見伝
まずはビルさんが、外国人ということもあり重さの単位が「オンス」だったのに対し、和菓子は「匁(もんめ)」なので、計算し直しの毎日で先代が言う「このくらい」という分量がわかるまで5年もかかったそうです。
ようやく掴んだ感覚と妻・智恵さんの協力を受け日々邁進しつずける中
もともとイチゴ・栗・梅の大福を製造していた清光堂。
新メニューとして開発されたのが愛媛の特産みかんをまるごと一個包んでしまえ!というなんとも外国人らしい発想から誕生したのがまるごとみかん大福!
みかんのサイズ、あんこの甘さとのバランスに苦労して、味が定着するまでに3年もかかったそうです!
これには妻の智恵さんの協力なしではとてもなし得なかったとビルさんは言っていました。
先代夫婦に何度も試食してもらい緻密な計算、製造の毎日だったそうです。
単に包めばいいってもんじゃないですもんね。
それなのに重さの単位も違い、白あん以前にあんこ自体もあまり知らない外国人が作り出したこの商品は今やビルさん夫婦の大傑作になりましたね!
現在は周辺各地の農園の協力を得て、いちじく、柿、柑橘、キウイ、ぶどう、ブルーベリー、抹茶、メロン、レモンといった中身のバリエーションも展開させ、「一福百果」という和菓子ブランドを作り上げています!
どれも、水分が多い物を使用しているので冷凍・半解凍2種類の味わいが楽しめるそうです!
ビル・リオン・グレローの家族は?
引用:東京FMサイト
調べてみるとビルさん一家は4人家族で
妻の智恵さんは清光堂の現オーナーであり、経営を見ながら全国のデパートなどでのイベント等もこなしています。
息子の寛規さんは現在製菓学校に通いながら、清光堂三代目になるべく修行中だそうです!
娘の寛恵さんは他の会社に就職しているがレジの手伝いもする。
ちなみに名誉親方である先代の光俊さんは今でも時折店に顔を出している。
家族ぐるみで清光堂を運営されているようですね。
まとめ
ビルさんは和菓子職人の修行中、何度もグアムへ戻りたいとも思ったそうですが、歴史ある和菓子屋を潰してはなるまいと踏ん張ってきたそうです。幸せなグアムでの暮らしを捨て、関西弁で叱られ続ける修行の毎日を経て、現在に至るまでは相当過酷だったと思います。家族を想う気持ちは万国共通ですね!あんこも知らない外国人が和菓子職人となり、今では愛媛の名物となる和菓子を作り上げたのは驚きましたね。このまま、外国人らしい発想でトロピカルフルーツを使った大福なども出てこないか楽しみにしています!